タミヤ フェラーリ643完成!!80年代終わりから90年代のF1の盛り上がりについて思う…



大変お待たせいたしましたがいよいよ仕上げです。

まずはデカール。付属の物ですと権利の関係?で端折られているのもがありますので10年前に購入したこの90年代F1ステッカーを補助的に使用いたします。

ちなみにこのデカール現在でも手に入ります。



10年越しのこのボディにいよいよ息吹がっ!!



ということでドーン!!

美しい……RCモデルでこの美しきフォルムを再現するとはさすがタミヤ。恐れ入る。



さてこのフェラーリ643は美しき駄馬と呼ばれていたようで…

というのも1991年フェラーリ642の不振からシーズン途中のフランスGPから投入されたマシンフェラーリ643。その期待に応えることはできず1991年、前年のチャンピオン争いがウソのように1勝もできませんでした。

1980年代終わりから1990年代にかけてのF1のレースシーンにおいて印象に残るは音速の貴公子と呼ばれたアイルトン・セナとこのフェラーリ643のドライバープロフェッサーと異名をとるA.プロストとのライバル関係。

どちらかというとアランプロストはヒール的な存在だったと振り返ります。



その象徴となるのが1989年の鈴鹿サーキットでの日本GP。マクラーレンホンダの同じチーム内でチャンピオンを争っていた二人。この鈴鹿のシケインで抜きにかかってきたセナをプロストが強引にブロックし接触。セナはコースに戻り走りきりましたが接触時にシケインを通過していなかったことが審議対象となり失格。プロストがチャンピオンを獲得しました。

この強引さから当時自分はセナびいきでしたのでプロストはヒール的存在になっていましたが、今思えば勝利への執着心は当然のこと。

セナもまた翌年の日本GPでスタート直後の1コーナーで、強引にインに飛び込みフェラーリに移籍したプロストのマシンに接触。その場で両者リタイアとなり、今度はセナのワールドチャンピオンが決定。勝利への執着心は同じものでした。



ちなみにこのレースでは日本人ドライバーの鈴木亜久里が3位入賞。

日本人としては初の表彰台で「雨のナカジマ」とよばれた中島悟の1989年の最終戦オーストラリアGPでの戦闘力の劣るロータス101・ジャッドでの上位のマシンを次々と抜き去った伝説の走りと同等のインパクトを残すこととなりました。



日本人ドライバーの活躍もあり日本でも地上波で放送される等大いに盛り上がりを見せていたF1グランプリ。セナとプロスト、ヒーローVSヒールのわかりやすい構図が当時少年だった自分心をつかんだのではないかと思います。

結果を残せなかった美しき駄馬はそれはそれとしてまた印象に残るもの。制作しながら当時の熱い思いが蘇りました。

気長にご覧いただいた皆様ありがとうございます。折をみてライバルマシン、セナのマクラーレンホンダも制作いたしたいと思います。